国立大学法人お茶の水女子大学 〒112-8610 東京都文京区大塚2-1-1
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【学習面】
私が履修した科目は以下の通りです。
〈Fall Semester ’08〉
Intermediate Chinese/Religion and State in China/Introduction to Women’s Studies
〈Spring Semester ’09〉
Intermediate Chinese/International Politics/Economic Crises/Beginning of Modern Dance
最初の頃はまだ慣れていなかったので、挙手をして発言したり積極的に議論に参加したりということがなかなか難しく、苦労しました。しかし事前にそれぞれの講義を担当する教授に相談をしたおかげで、オフィスアワー時間外でもレポートの相談をすることができました。また、授業中に聞けなかった質問もそのときにしていました。
春学期からはもう少し積極性をもって授業に臨みました。議論が進んでしまうと見当違いのことを言ってしまう不安があります。それによって発言の機会を逃すことが多くあったので、リーディング課題を読んで考えたことを授業の始めの方で発表するようにしました。そうして発言の機会を増やしたことで、授業の流れの中でも意見を言いやすくなったと思います。
レポートにはとにかく苦労しました。図書館にライティング・センターというものがあり、訓練を受けた優秀な学生に指導をしてもらえます。文章構成はもちろんのこと、課題の解釈からトピックの選出、文法上の間違いも見てもらえたので、よく活用していました。また、教授によっては事前に相談すると下書きを見てくれることもあったので、方向のズレや焦点の定め方などを教えてもらいました。課題は増える一方で気の休まることはありませんでしたが、勉強をする環境に置かれていたので、日本とは違う意味での大学生らしい生活が送れたと思います。
【生活面】
キャンパス内唯一の女子寮で一人部屋をいただきました。食事は食堂で食べます。時間のある週末には寮に併設のキッチンでお蕎麦をゆでたりカレーを作ったりして、日本食パーティーを何度か開きました。平日は勉強で忙しく、課題をやりながらご飯を食べる人や部屋に持ち帰って後で食べるという人も多くいました。しかし食堂は交流を膨らませる場だったので、私はなるべくゆっくり食事の時間をとるようにしていました。学期初めはピリピリした学生が多いのですが、学期末になるとそれまでの疲れがたまり、さらに忙しいにも関わらず「のんびりディナー」に付き合ってくれる子が増えました。非常に興味深い現象だと思います。
週末は部屋でパーティーが主流です。最初は慣れなかった大音量の音楽ですが、3ヶ月経つ頃には近隣から苦情が来るほどまでに馴染んでしまいました。ハロウィンを始め学内行事も充実していたので、みんな金曜日が待ち遠しくてたまらないという感じです。日本のサラリーマンに見られる「サザエさん症候群」の話をすると、非常にわかると納得していました。週末は授業では見られないみんなの姿を見ることができるので、交友関係も深まりました。
課外活動も充実していました。私が参加していたのは以下の三つです。
• Asian Student Alliance(ASA):中秋の名月や旧正月などイベントの企画・運営。アジアの映画上映会を開いたり、アジア系アメリカ人の問題を話し合ったりもしました。
• Vassar Democrats:オバマ大統領を支持する団体。会議に参加したり戸別訪問で調査をしたりしました。
• Vassar Wind Ensemble:ヴァッサーの学生と地元のコミュニティ楽団団員で構成。練習は週1回だったので、勉強の息抜きとして楽しむためのものでした。
このほかにも、アイススケート、学生新聞、ラグビー、オーケストラ、合気道、ダンス、アカペラなど、かなり気合を入れて活動している団体がいくつもありました。Vassar Haiti ProjectやUNICEFの団体もありました。
課題が比較的少ないときにはマンハッタンに繰り出します。しかしいわゆる日本からの観光とは違い、目的の中心は日本食を求めに行くことでした。美術館にはよく行きましたが、自由の女神を見たのは帰国直前の5月です。毎日キャンパス内で生活しているので、マンハッタンに出かけるのはよいリフレッシュになります。
【人間関係】
Vassarの学生は、本当にすばらしい人ばかりでした。学生数の多くない大学なので、友達が作りやすかったのもよかったと思います。留学生のコミュニティもしっかりしていました。サンクス・ギビングやクリスマス、保護者の学校訪問期間など家族行事があるときには、留学生に配慮したイベントが行われました。世界中から集まってくるのですが、留学生全体で一つの家族という雰囲気がありました。それでいて現地の学生との隔たりを感じさせないので、非常に良い関係が築けていたと思います。
アカデミックな面で学んだことは多いですが、一年間で出会った人々との関係は何よりの財産です。ヴァッサーは毎年お茶大でサマープログラムをおこなっているので、帰国後もよく東京で遊びました。日本への旅行を考えている学生も非常に多かったので、今後も密な関係をつなげていきたいと思います。
大学2年の6月に初めてTOEFL iBTを受けました。ある程度通用するレベルまで勉強してから受けたいと思っていたので、先延ばしになってしまいました。しかし、留学は大学入学当初から希望していたことなので、もっと早く受けて形式に慣れておけば対策も立てやすかったかと思います。1学年の春季休暇にはニュージーランドの短期語学研修プログラムに参加していたので、リスニング力が残っている帰国直後に受けておけばよかったとも思います。 希望大学の受け入れ基準に対して、初回のスコアは30点も足りませんでした。その後、10月から1月までの4ヶ月間は1ヶ月に1回受験するようにしたのですが、10月のスコアは初回と変わらず。実際、大学の勉強や課外活動、アルバイトなどで忙しい毎日を送っていたので勉強はしていなかったのですが、何も進歩がないことに落胆しました。本格的に勉強を始めたのは、10月の試験以降です。自分で買ったLONGMANのテキストに加え、国際交流室の教材を十分に活用しました。リスニングができないとリーディング以外の全ての分野に響くので、まずはそこから鍛えました。いわゆる机に向かった勉強に加え、朝の身支度の時にはラジオ代わりとして英語のCDを聞いていました。また、通学途中にはスピーキングの対策CDを聞いて、時間を計りながら実際に答えを想定する練習をしていました。そんな努力もむなしく、11月の試験では前回から一点下がりました。ここが伸び悩んだ時期でした。しかし根気よく続けた結果、12月には15点上がり、1月には目標スコアに近いものを取得することができました。クリスマスやお正月も受験生並みに部屋にこもっていたのが功を奏したのかと思います。
同じく留学に興味を持つ仲間で情報を交換し合ったり、国際交流室に足を運んでお話を聞いていただいたりしました。国際交流室には語学と生活両方の面から資料がそろっており、様々な選択肢があるということを学べます。将来を見据えた長期ビジョンの話にも相談に乗ってくれるので、助かりました。また、以前留学に行った先輩方と知り合うことができたので、お昼の時間や放課後を活用して質問をぶつけていました。
語学のことを抜かすと、準備期間で大変だったのは資金繰りです。学費はお茶大に払うとしても、寮費や食費、その他海外生活にはお金がかかります。留学が決まった3月から直前の7月まではアルバイトを3つ掛け持ちしてお金を貯めていました。そのため勉強の時間が取れなかったので、そこは少々失敗したと思っています。 初めての一人暮らしが海外、という状況だったのですが、実際に始めてみないとわからないものなので特に不安には思っていませんでした。しかし、語学に関しては常に不安を抱いていたので、留学仲間で昼休みに集まって英語の座談会を開いていました。
4年間現地の大学に通うわけではないので、学生ビザではなく1年間の訪問ビザであるJ1ビザを取得しました。アメリカ大使館のHPを見ながら申請を進めました。 ① DS-156 基本情報の書類。これはオンラインでダウンロードして項目を埋めます。 ② DS-158 家族の連絡先や職歴。これも同じようにダウンロードできますが、DS-156とは異なり、プリントアウトしてから手書きで埋めたと思います。 ③ DS-2019 留学後も重要な役割を果たす書類。可能滞在期間が記されています。受け入れ大学先から送られてきます。 ④ I-901 SELVIS費確認書 ビザ申請料金の他に必要な費用。私の場合は受け入れ先大学による支払いだったので、DS-2019と共に確認書が送られてきました。 ⑤ 財政証明書 最初の一年分がまかなえる財政証明が必要なのですが、いくつかの金融機関に点在して預けているお金を一旦一つの金融機関にまとめ、財政証明書を発行してもらいました。英文による発行だと費用は1,000円で少々時間もかかるので、余裕を持って準備したほうがいいと思います。私の場合は、無理を言って6日で作成してもらいました。 ⑥ 成績証明書 これはお茶大の学生課で発行してもらえます。1週間くらい時間を要すると思います。 その他、大使館のHPに記載されている必要書類(カラー写真、申請料金の領収書、返信用EXPACK500、(裁判記録または警察証明)、面接予約確認書、クリアファイル)を持って大使館に赴きます。7月に入ると混んでくるので要注意。面接は、裁判記録のない日本人であれば簡単な質問をいくつか受けてすぐに終わります。受け入れ先大学や、永住希望の有無などを聞かれます。私は英語で質問を受けましたが、日本語の人もいるようです。
私は航空券を購入するのが遅くなってしまったので、希望の日に取れず、しかも8月下旬ということで高くついてしまいました。大学側が手配してくれる空港からのシャトルバスに乗るため、空港付近のホテルで一泊することに。費用はその分かかってしまいましたが、一日中寝ていたので時差ボケにはなりませんでした。 帰りに旅行をしてこようと思っていたのでどこから成田行きの便に乗るかわからず、片道航空券を購入しました。しかし割高になるので、搭乗の場所や日時の変更ができるタイプのものを往復で買うことをおすすめします。
大学のキャンパス内にある寮に住んでいました。最初担当者に寮の件で連絡をしたときは「空きが無い」と言われたのですが、交換留学の規定により住居は確保するはず、という旨のメールを国際交流室の方から送ってもらったところ、きちんと確保してくれました。男女共同の寮か女子寮か選べたので、女子寮を選択しました。9つの寮のうち唯一の女子寮だったのですが、やはり他の寮に比べて静かで清潔という面がありました。遊ぶときは他の寮の友達を訪ねるので、勉強と就寝には最適の場所だったと思います。また、私は一人部屋をいただけたので、自分の空間が確保できたのはよかったです。
寮費は1学期(約4ヶ月)で$2,500ほどでした。食費と合わせると1学期で約$5,000なので、東京で一人暮らしをするのと同等か、それより少し高いぐらいだったと思います。
最初はベッドシーツやテーブルランプ、洗剤など何かと費用がかさみました。しかし、基本的にキャンパス内で過ごすので、寮費と食費を除くとほとんど出費はありませんでした。私は服や靴などにお金を使わなかったからかもしれません。週末に出かけたり日本食を食べに行ったりすると出費は大きくなります。物価は東京と変わらないように見えましたが、チップや消費税を合わせると東京より高いように思えました。
学費はお茶大に納めていました。教科書や参考書などは高いので、1学期に$200~300は使っていたと思います。しかし学期の終わりには大学の本屋で買い取ってくれるものもあるので、いくらか戻ってきました。
晴れている日はカラッとしていて過ごしやすかったです。しかし、冬の寒さにはこたえました。厚手のコート、ブーツ、耳あて、マフラー、帽子、手袋などは必須です。私はコートとブーツは現地で買いました。
キャンパスの周りにレストランやバーが10件ほどあるくらいで、一番近いスーパーマーケットまで行くのに車で10分ほどかかりました。徒歩でも30分ほどで行けるのですが、現地の人にとっては、歩いて行くにはとても長い距離だそうです。NYCまで出てしまえば、東京と変わりません。
NYはたいてい何でも手に入ります。自分で何が恋しくなるかわからないので、そこは人それぞれの判断だと思います。
幸い、病気にはかかりませんでした。常備薬プラス風邪薬、頭痛薬、オロナインなどは持っていったほうがいいと思います。
アメリカでは食べ物・飲み物は心配ありませんでした。一応卵はしっかり火を通すようにしていましたが。あとは、基本中の基本ですが、夜遅い時間に危ない場所へ一人で行かないことです。安全な地域ではありましたが、キャンパス内でも何者かに銃を突きつけられて金を要求されるという事件が一度だけありました。
語学のクラスは受講していません。
リベラルアーツということもあってか、自分に合ったレベルのものであれば自由に選択・受講できました。
とても大変でした。一年生向けの授業であっても皆が積極的に発言し、議論が活発でした。あらかじめ与えられるリーディング課題をこなすので精一杯だったので、読んだ上で自分の考えを持ち、それを発表するということが最初のうちはなかなかできませんでした。最初に発表しないことが続くと発言の機会が自然と減ってきてしまうので、春学期からは自分の得意分野を作り、少なくともその範囲内で発言していく、という努力をしていました。しかし教授はほとんどみな理解のある方だったので、オフィスアワーを訪ねるなどして授業内での遅れを取り戻していました。
非常に有益でした。私は国際関係やアジア学の授業を中心に受講していたのですが、授業の内容だけでなく、アメリカの学生がどのような視点を持って国際関係を見ているかを知るきっかけになりました。
私の受講していたクラスはどれも少人数でディスカッションの多いものだったので、自然と友達は増えました。また、中国語のクラスは月~金の毎日あり、対話練習が多くイベントに向けての準備などもあったので、仲が深まったと思います。
授業によって異なりますが、やはり日本人としての視点に興味が集まっていたと思います。しかし「求められている」という感じではなく、自分の発言が必然的に日本に住んできた経験から語られるものだったからだと考えています。
International ServicesのAndrew Meadeさんです。とても気さくな方で、留学生全員が父親のように慕っていました。
授業を選ぶ際のアドバイザーはDirector of the Office of International Programs and Assistant Dean of StudiesのSusan Correllさんが担当してくださいました。
卒業単位数が足りているので、私は手続きを行っていません。
同等でした。保護者参観のような行事があるときは、Andrew Meadeさんを中心としたInternational Servicesの方々が家族ぐるみで留学生向けのイベントを企画してくれました。留学生が孤独感を感じないよう、本当によく配慮してくれていました。
日本語のチューターをしていたので、学生とのふれあいは十分にありました。また、毎週木曜日には夕飯の時間にLanguage Tableというものがあり、日本の文化を体験できるようなカジュアルな場がありました。その他にも文化の日のイベントや桜祭りなど、日本語学科の学生の発表の場ではよくアシスタントをしていました。週末に日本食を振舞うこともしていました。
まず学期が始まる前に、他の学生より早くオリエンテーションが始まりました。上級生が中心となって留学生特有の悩みや心配事について話し合う機会がありました。その他にも、それぞれの国の文化を紹介しあうイベントや、ハイキング、家族の行事(サンクス・ギビングやクリスマス)に本物の家族の一員のように参加できるイベントを計画してくれました。
アメリカは日本と生活水準がほとんど変わらないので、特に心配することはないと思います。また、今ではアメリカでのカルチャーショックは有名になっているので、実際に体験して「ああ、こういうことか」と納得することも多いです。他にも驚くことは多々ありますが、命の危険に関わらないようなものであれば実際に体験して驚くのがベストだと思います。 ただ、自分の授業するクラスが決まっているのであれば、日本語と英語の両方で基本知識を身につけていったほうが能率的に学べます。
国際交流室の方や学科の先生方など、支えてくれる人は多いです。また、留学生同士の情報交換も心の励みになります。留学できたことに、改めて感謝する機会がたくさんありました。 勉学はとてつもなく大変で、日本が恋しくなることはありますが、なんといっても異国での生活は楽しいです。やらなければいけないことだけに気をとられず、伸び伸びと過ごすことで新たな自分が発見できるかもしれません。現地でしかできないこと、それを見つけることで、留学先により深い愛着がわいてきました。