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2024年8月25日(日)に、第46回リケジョ⁻未来シンポジウム「サイエンスの学びから将来の夢へ」を開催いたしました。本シンポジウムは、オンラインと対面のハイブリッド開催ということで、現地、オンライン共に全国各地から沢山の方々にご参加いただきました。司会進行は、伊藤瑛海さん(日本学術振興会特別研究員RPD(お茶の水女子大学))が担当いたしました。

講演の部

田村 りつ子 様(生物学) 株式会社リコー デジタルサービス企画本部 EDW企画センター

海の生き物の研究から、“働く”を創る仕事へ

田村様はお茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科ライフサイエンス専攻生命科学コースで博士(理学)を取得後、株式会社リコーに入社されて、今は企画職として働いていらっしゃいます。

高校の頃から理系分野の成績がよかったそうで、興味にしたがって、理学部・農学部への進学を志望されました。高校2年生までは薬学部を志望していましたが、せっかく大学で4年間も学ぶならやりたいことをやろうと思って、生物分野を目指されたそうです。お茶の水女子大学へはAO入試(現:総合選抜型(新フンボルト入試))を利用して合格されました。
高校も女子校だったそうで、博士課程も合わせると12年間も女子校にいらしたとのことですが、お茶大での生活は居心地の良いものだったといいます。

大学生活では、日々の生活や勉強を自分で選択して過ごす経験が新鮮だったそうです。テニスサークルで活動したり、学習塾でアルバイトをしたりと充実した学部生活を過ごされました。そして、大学3年での研究室選択では、その時に直感的に面白そうだと感じた、ヒトデの研究をしている研究室を選ばれました。

修士課程でも引き続き研究を続け、「自分自身で道を探し、進んでいく」ことを学ばれたといいます。大学院では先生とディスカッションしながら、自分で研究を進める必要があり、この研究活動を通じて、仕事の進め方、考え方、メンタル面が鍛えられ、現在のキャリアにも活きているそうです。

理系では、企業や国の研究施設で働くことを目指し、修士課程に進学する人は多い傾向にあるのですが、当時、博士課程まで進学する人は多くありませんでした。そのため、博士課程に行くかどうかはかなり悩んだそうです。研究に魅力を感じる一方で、ビジネスの世界にも興味があって、就職することも考えたといいます。グローバル理工学副専攻という経済面での支援制度に採択されたことで、進学を決められました。

博士課程を通じて、グローバル理工学副専攻では製茶企業や農家の方と関わり、異分野のメンバーとコミュニケーションをしながらお茶の研究をする機会に恵まれたそうです。そうしたチームプレイの経験を積むなかで、自身が得意なことは既存のアイデアを元に積み上げて改良することと、相手の立場にたったコミュニケーションによるチーミング、そして考えたことを具体化して進める推進力だと考えるようになったといいます。

博士号を取得後は、以前からもっていたビジネスへの興味もあって、企業へ就職して、アカデミアとは違う職につかれました。長い人生でみた時に、博士課程を出たばかりならば、新たな挑戦をするにはいいタイミングだと考えたそうです。“リコーの田村りつ子”を目指して、自分にしかできない仕事を見つけていきたいと、今後への熱量を覗かせていらっしゃいました。


 

河北 美幸 様(物理学) 大同特殊鋼株式会社 機能製品事業部 電子部材製品部薄膜電子部材室

理系女子とリベラルアーツ 〜文理融合、学びつづけることで広がるキャリア〜

河北様はお茶の水女子大学理学部物理学科を卒業後、大同特殊鋼株式会社に入社されました。そして、会社勤めをされながら結婚、出産を経て、名古屋大学大学院工学研究科博士前期課程応用物理学専攻を修了されました。現在も大同特殊鋼株式会社で引き続き勤務されています。

高校の頃から授業科目のなかでも理系科目が得意で、物理学科へは量子力学などへの興味や、アリストテレスの万有引力の考え方のように物理が哲学だった頃の逸話に面白さを感じたことをきっかけに志望されました。

お茶の水女子大学では知能環境論という授業をきっかけにリベラルアーツと出会われました。高校の延長線上にある感覚で大学の授業を受けていたため、「大学は学校ではない」、「いつまで生徒の気分でいるのか、はやく学生になりなさい」と授業を通したメッセージを心に刻み、学びながら生きるような人になりたいと思うようになったそうです。

学部時代に国立科学博物館でボランティア説明員として活動していた経験から、科学の知識を一般の人にもわかりやすく伝えるサイエンスコミュニケーションへの関心が芽生えたそうです。そのため、就職活動では理系の知識を活かしながら、社会で何が求められているのかを把握して、それに応えていけるような仕事をしたいと考え、大同特殊鋼株式会社に入社されました。

新卒から生産管理に配属され、いつ、何を、どれくらい作るのかを決定して、工場を管理する仕事をしていました。現在の状況の中で、最大限にキャリアアップするために何ができるかを考えたときに大学院への進学を決意されたそうです。この決意をするまでには上司をはじめとして親身になって相談に乗ってくださる方が多く、自身のキャリアについて一緒に考えてくださったことに大変感謝されていました。

メーカーでの勤務経験を踏まえて、学部時代の物理学から工学へ、大学院での専門を変更されました。大学院では、構造物性の研究室で分析スキルを身につけ、また熱膨張制御技術について論文執筆や学会での発表をされたといいます。
現在では大学院での経験を活かして、課題解決型の営業として、お客様との対話を通して要望や困り事を理解して、その解決法を提案されています。その業務において、研究の経験を通じて高められた問題解決能力や分析スキルが非常に役に立っているといいます。また、技術的な言語や概念を理解して非専門家にもわかりやすく伝えるサイエンスコミュニケーションのスキルも活かされていると感じられているそうです。

最後に、中高生の皆さんに向けて、近年では生成AIの普及によって知識そのものよりも使うことが重視される時代に変化しつつあり、知的な自由さを持った人間が求められるなかで、理系をベースとして幅広い分野の学びを追求することが、自分自身の知的な自由さを高めながらも、社会から求められる人になれる1つの方法として、理系のもつ可能性を示されました。

 

質疑応答

オンラインと対面の両会場にて、参加者から様々な質問が寄せられました。質問の一部をご紹介します。

・大学院進学に際して、不安な気持ちはなかったのでしょうか。

田村さん:
就職活動など、博士課程を出た先があるかどうか、という不安は先輩方からお話を聞いたり、その様子を見たりしてきたため、特になかったです。それよりも、博士課程の3年間で研究対象に興味を持ち続けてモチベーションを維持できるかどうか、ということと、経済面での工面の不安が大きかったです。前者はやってみないとわからないからと割り切ってやってみよう、と思うことにして、後者の不安に関しては、グローバル理工学副専攻に採択され、経済面の支援を受けられたことで解消されました。

河北さん:
大学院の修士課程に進むにあたって、現役生と一緒に受けるため、何年もブランクのある自分が試験に受かるかどうか、という点が不安でした。経済面は会社の留学制度を使ったことで、給与を得ながら通学することができていたので不安はありませんでした。また、子育てに関しても、子どもがある程度大きくなっていたので大丈夫でした。


・学部からストレートで大学院進学することと、結婚や就職を経てから大学院進学することの、それぞれのメリット・デメリットを教えていただきたいです。

田村さん:
私の場合は学部からストレートで博士まで行きました。研究が自分の仕事なので、生活の不安定さはあるものの、研究のことだけを考えていられるのはよかったかなと思います。周囲には就職した後に大学院に行く方もいましたが、やはりそういう方々をみていると、会社を辞めない限りは経済面で安定している一方で、時間の捻出が大変そうで、志があっても調整が難しそうだと感じました。

河北さん:
私は就職して、結婚もしてから大学院に進学しました。学部時代に時間学をテーマに卒業論文を書いたこともあって、大学院に進学して、時間学をご専門にしている先生のもとで学ぶことも考えたのですが、大学院を出た後にどうするのか、専門を活かした将来のビジョンが浮かびませんでした。そのため、一旦社会をみておこうと思って会社に就職することにしました。
こうして結果的に就職して結婚もしてから大学院に進学したことが自分にとってメリットだったと感じたのは、主にメンタル面と経済面です。まず、メンタル面では、私の場合は、仕事や家事などがある中で、使える時間が限られており、だからこそ使える時間数から逆算して、ある程度の成果をコンスタントに安定的に出すことを目標に動くことができていました。一緒に学んでいた、学部からストレートで進学した学生は、時間が限られていないからこそ、エンドレスに考え込む傾向があったように思います。
また、経済面でも、会社の制度を使ったおかげで不安がありませんでした。
デメリットがあるとすれば、先ほど言及したように、やはり社会人だと時間の制約を感じるので、ある程度で区切ることができない人だと両立が難しいだろうと思います。

 

懇談会(対面)

閉会後は、対面会場にて両登壇者を囲んだ懇談会が設けられました。お二方とも丁寧に質問に回答してくださいました。特に中高生とその保護者は、勉強方法などについての相談や、目先の大学受験だけでなく、卒業した後の将来設計まで考えることの難しさを話題にして歓談されていました。